東京地方裁判所 昭和40年(タ)105号 判決 1966年1月13日
本籍 朝鮮民主主義人民共和国 住所 東京都
原告 李歌子(仮名)
右法定代理人親権者母 李正子(仮名)
本籍 原告に同じ 日本における最後の住所 東京都
被告 井出三十郎こと李徳健(仮名)
主文
一 原告と被告との間に父子関係がないことを確定する。
二 訴訟費用は、被告の負担とする。
事実
原告法定代理人は、主文第一、二項同旨の判決を求め、その請求の原因として、
一 日本人であつた原告の母李正子(旧姓山本、以下正子という)は、昭和二一年五月三日、東京都中野区文同町に於て、朝鮮民主主義人民共和国に本籍を有する被告と事実上の夫婦関係を結び、昭和二二年一〇月二三日、同都中野区長に、被告の氏を称する婚姻届をした。
二、被告は、昭和二九年一月頃から、正子に行方を告げずに、出奔し、消息を絶つていたが、在日本朝鮮人総聯合会中野支部の調査により、被告は、昭和三五年一月二六日、帰国船により故国である朝鮮民主主義人民共和国に帰つたことが判明した。然しその後の消息は全く判らない。
三、正子は、昭和三〇年一一月訴外江時男と肉体関係を結び、昭和三四年四月二五日、同人との間に、原告を分娩したが、被告との離婚手続が為されていなかつたので、小学校への入学手続をする為已むを得ず、昭和四〇年三月三〇日、東京都中野区長に、原告を被告との間に生まれた子として出生届をした。
四、しかしながら、原告と被告との父子関係は、単に戸籍上被告と正子との離婚手続が為されなかつた為、正子の出生届により法律上発生したに止まり、原告の真実の父は、江時男であるから
原告と被告との間には父子関係が存在しないことの確認を求めると述べ
証拠として、甲第一ないし第四号証を提出し、証人江時男の証言を援用した。
被告は、公示送達による適式の呼出をうけながら、本件口頭弁論期日に出頭せず、答弁書その他の準備書面を提出しなかつた。
理由
原告の主張によれば、被告は朝鮮民主主義人民共和国人であるから、先ず当裁判所が本件につき国際的裁判管轄権を有するかにつき判断する。
最高裁判所大法廷は昭和三九年三月二五日、昭和三七年(オ)第四四九号離姉訴訟事件につき言い渡した判決において「思うに離婚の国際的裁判権の有無を決定するにあたつても、被告の住所がわが国にあることを原則とすべき」であるが、「他面原告が遺棄された場合その他これに準ずる場合においても(中略)、被告の住所がわが国になければ、原告の住所がわが国に存していても、なおわが国に離婚の国際的裁判管轄権が認められないとすることは、わが国に住所を有する外国人で、わが国の法律によつて離婚の請求権を有すべき者の身分関係に十分な保護を与えないことになり(法令第一六条但書参照)国際私法生活における正義公平の理念にもとる結果を招来することになるから」(中略)、「たとえ被告がわが国に最後の住所を有しない者であつても、本件訴訟はわが国の裁判管轄権に属するものと解するを相当とする」と判示した。当裁判所はその見解を正当と考えるからそれに従う。
今本件について見るに、原告の主張は、被告が妻である原告の母を遺棄して朝鮮民主主義人民共和国に帰還し、その所在が不明である為、原被告間の親子関係不存在確認の訴を当裁判所に提起するというにあり、その事実は、後掲証拠資料により認められ得るから、当裁判所は、右判例の趣旨を準用し、本件につき国際的裁判管轄権を有すると考える。その方式および趣旨により、公務員が職務上作成したものと認められるので真正に成立したと認める甲第一第三および第四号証の各記載、弁論の全趣旨により真正に成立したと認める甲第二号証の記載、証人江時男の証言によれば、原告主張の事実全部を認めることができる。
さて本件に適用すべき準拠法について考えて見るに、原告が被告の嫡出子なりや否やの問題については法例第一七条前段により原告の出生した時に於ける正子の夫、即ち被告が属していた国の法律により定めなければならない。被告が、正子の夫であるかどうか考えて見るに、婚姻成立の形式的要件即ち方式は、法例第一三条第一項但書により婚姻挙行地の法律即ち日本民法に依るべきであり、正子と被告は、右認定の通り昭和二二年一〇月二三日東京都中野区長に被告の氏を称する婚姻届をしたのであるから、形式的要件は具備せられていたといわなければならない。そうして右婚姻の実質的要件は、法例第一三条第一項本文に従い、各当事者の本国法により定めることとなつているから、正子については日本民法、被告については、その本国法と認めるべき朝鮮民主主義人民共和国(この点については詳論をさける)親族法ないし国際私法に照しても、その婚姻を無効ならしめるような障害は、これを認めるべき証拠資料がない。したがつて右婚姻の実質的要件には欠缺がなかつたものと認めざるを得ない。そうすると、法例第一七条前段の母の夫の本国法とは、被告が属した朝鮮民主主義人民共和国の法律であるというべきである。しかるに同共和国が親子関係の発生につきいかなる規定を設けているかについては、当裁判所はこれを明にすることができない。しかしながら、本件のように夫婦間に肉体関係の発生し得る客観的可能性のない案件に於て、妻が第三者と通じて分娩したいわゆる姦生子について、夫との間に父子関係の発生を認めることは、条理に照し、あり得ない事と考えられるから、原告と被告との間に嫡出関係は成立しなかつたといわなければならない。この場合、朝鮮民主主義人民共和国の親族法に、日本民法第七七二条のような嫡出性の推定規定があつたとしても、右のように夫婦間の肉体関係が成立する余地の無い場合には、その推定規定の適用せられる余地はないといわなければならない。
してみれば、原告と被告との間に父子関係がないことの確認を求める本訴請求は、正当であるからこれを認容し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して、主文の通り、判決する。
(裁判官 鉅鹿義明)